JOURNAL

Interview
Harri Koskinen Vol.1
MAJAの名にこめられた心地よい宿への思い。
MAJA HOTEL KYOTOをデザインしたハッリ・コスキネンに、名の由来やデザインコンセプトについて話を聞きました。
- インタビュー:ハッリ・コスキネン
- 聞き手:山田泰巨
- 写真:永井泰史(フィンランド)・蛭子 真(京都)
森と湖の国と表現されるフィンランドの首都、ヘルシンキ。この国の美しさは自然が織りなす風景に限りません。家具をはじめ、陶器やガラス、布といった暮らしの道具を、多くの先達が美しく機能的にデザインをしてきた歴史をもちます。その魅力は自国に留まることなく、世界のあらゆる人々、そして日本に暮らす私たちにも馴染み深いものとして現在も愛され続けています。美しく機能的で豊かな時間を求め、《MAJA HOTEL KYOTO》はフィンランドを代表するデザイナー、ハッリ・コスキネンに館のデザインを依頼しました。ヘルシンキ中央駅からほど近くにある彼の事務所を訪ね、《MAJA HOTEL KYOTO》に込めた思いを聞きました。

1970年、フィンランド・カルストゥラ生まれ。Lahti Institute of DesignとヘルシンキのUniversity of Art and Designで学び、98年に自身の事務所Friends of Industryを設立。家具やプロダクトデザイン、空間などを幅広く手掛ける。コンセプト立案から携わる。

ヘルシンキ市民に馴染み深い「ハカニエミ・マーケット」にほど近いコスキネンの事務所。目の前は湖とそれに面した公園で、オフィスの多い都心ながらゆっくりとした時間が流れています。

多くの人が目にしたことのあるだろうコスキネンの代表作の一つが1996年にデザインハウスストックホルムから発売された〈ブロックランプ〉。氷のなかに灯りを閉じ込めたような照明器具は新しい時代のフィンランド・デザインを予感させるものとして国際的にヒットしました。現在でも販売が続くロングセラーアイテムです。
1997年、分厚い氷のなかに光を閉じ込めたような照明の発表がフィンランドのデザインに新しい風を吹き込みました。後にスウェーデンのブランド〈デザインハウスストックホルム〉から発売されたこの〈ブロックランプ〉をデザインしたのが、ハッリ・コスキネンです。
フィンランドから世界に向けて新たな建築と家具の可能性を発信したアルヴァ・アアルト、第二次世界大戦後に人々の暮らしに寄り添いながらテーブルウェアの概念を大きく変えたカイ・フランク、雄大な自然と民族史に学びながら機能性と美学を両立させたタピオ・ヴィルカラなどのデザイナーたち。そして〈アルテック〉〈イッタラ〉〈マリメッコ〉などの企業がフィンランドから世界に発信を行ってきたものの、90年代のフィンランドでその勢いはやや停滞していたと言えるでしょう。当時、二十代半ばであったコスキネンは以降、フィンランドの新しいデザインを発信する若き騎手として活躍していくようになります。

コスキネンが1999年にイッタラから発表した〈ランタン〉。もともとはキャンドルホルダーとしてデザインされ、2013年には電球を収める照明器具のバージョンが同じデザインのままで追加されました。写真は照明器具タイプ。

同じくイッタラから2018年に発表した〈ヴァルケア〉は、柔らかな輪郭を描くガラス製のティーライトキャンドルホルダー。豊富な色と食器との相性も良い丸っこく愛らしいフォルムで、厚みあるガラスのなかで揺らぐ炎で空間を優しく照らします。

ガラス工芸が盛んなフィンランドでは数多くのデザイナーがそれに挑んでいます。コスキネンもそのひとりとして、たびたびガラスのアートピースを発表。これは以前に製作したガラスのオブジェ。そのくぼみに電球を置いて照明のように使っていました。
初めての個展を日本のMDSギャラリーで行うなど、日本と強いつながりをもつコスキネン。現在は国内外で、家具やプロダクトに加え、空間を手がけることも多いといいます。これまでにホテルを手掛けた経験について尋ねると、フィンランド国内で古い建物をリノベーションしたホテルの一室を手掛けたことはあるものの、館すべてを手掛けるのは今回が初めてだとか。日本からの依頼に、彼はどう思ったのでしょうか。
「《MAJA HOTEL KYOTO》の総合プロデュースを手掛けるチーム(スパイラル/株式会社ワコールアートセンター)のことは以前からよく知っていたものの、彼らとプロジェクトを手掛けるのは初めてで、依頼を受けた時には驚きました。ただ彼らが事細かに交渉や段取りを行ってくれること、設計業務では日本の建築家が協業してくれるということで実現に向けて不安は感じませんでした。また京都という都市にホテルを作るということにも魅力を感じましたね。それほど多くはないものの、これまでに何度か訪れたことのある街です。歴史と特徴のある街で新しいプロジェクトに挑むという素晴らしい機会に恵まれたのです」
コスキネンは《MAJA HOTEL KYOTO》で、小屋をモチーフにデザインを行いました。三角屋根がかかった小屋の形は世界のあらゆるところで見られる普遍性ある形状。世界の多くの人がそこに安心感やシェルターのように守ってくれる場といったイメージを抱くことでしょう。実は《MAJA》という名にもその思いが込められています。コスキネンは計画当初を振り返りながら、名前の由来について説明してくれました。
「もともと《MAJA HOTEL KYOTO》の計画時に《MAYU(=繭)》という仮称が当てられていました。それを私がフィンランド語の《MAJA》という言葉に聞き間違えてしまったんです。というのも《MAJA》には、小さな小屋、子どもたちがつくる秘密基地やツリーハウス、キャンプで使うテント、そして日本の旅館にあたるような小さな宿など、幅広い意味を持つ言葉なんです。日本のスタッフはフィンランド語をよく理解しているんだと驚いたものですが、すべては私の勘違いだったのです(笑)。その誤解をチームに説明するとホテルの名にぴったりではないかと提案を受け、そのまま名称に使われることになったのです」

それぞれの居室が小屋のようになっている《MAJA HOTEL KYOTO》。ベッド下にはラゲージスペースを設け、限られた面積ながらパーソナルな居室空間を実現しました。カーテンを下ろすと、包み込まれるような安心感があります。


またコスキネンは、自らが計画に携わる前に同じ敷地で別の計画案があったことを振り返ります。しかしより良い可能性があるのではないかと、オーナー自らがフィンランドに向かってコスキネンに新しいカプセルホテルの可能性を相談したといいます。そこには、より心地よい空間を作りたいという強い思いがあったのです。
「変更とはいえ建物の躯体工事はすでに進んでおり、ある程度決まっている建物の形状にあわせて変更を加えながら新しい案に作り直すというのは大変な作業でした。オーナーからはまず第一にカプセルホテルであり、一階には《カフェ・アアルト》の海外1号店をつくりたいという希望が出ていたので、各階の配置は必然的に決まっていきました」
しかしカプセルホテルは日本独自に発展した宿泊業態です。コスキネンはこれを知っていたのでしょうか。
「カプセルホテルの存在は知っていました。泊まったことはありませんでしたが、私も若い頃はユースホステルの2段ベッドで寝泊まりをして旅をしたものです。ユースホステルとカプセルホテルは、社会的な位置づけや他の宿泊者との関係性という意味で大きく変わらないように思います。もちろん今回、あらためていくつかのカプセルホテルに泊まってみました。初めて宿泊した時は疲れていたのでシャワーやロッカーの仕組みに戸惑ったことを覚えています。《MAJA HOTEL KYOTO》では世界各地からお客様を迎えたいと聞いていたので、どこの国の人が利用してもわかりやすいように簡潔なサインを設け、ガイドラインをしっかりしています」